S先生
今日と明日という予定で、カンボジアのスタッフに測量の研修を行っている。

講師という柄ではないのだが、探しても見つからなかったことと、昔のTAの経験があり自分でも何とかなるかなと思い、やってみることにした。

受講するのは14名。プロジェクトの方針でテストを行うことになっているので、テスト問題も作成して、受けさせた。そして、14名分の答案の採点がし終わった。14名の採点だけでも疲れてしまった。

採点している時に、ふと中学時代のS先生のことを思い出した。英語の期末テストの次の日に英語の授業があった。S先生は6・7組くらいあった一学年の全クラスを受け持っていたので、200名以上の答案を採点しないとならない。それを考えるとさすがに結果は返ってこないだろうとみんなが思っていた。しかし、S先生はなんと英語の授業当日の早朝までほぼ徹夜で採点してきた。

S先生は元気の良い、背筋がきちんと伸びた、年配の男の先生であった。バレー部の顧問をしていたが、柔道も何段かという腕前だったので、S先生に逆らうような生徒は皆無だった。60cm程の椰子の枝を持ち歩き、挨拶が終わり、授業に入ると「忘れ物してきた人〜、前に出てこーい」と声を掛け、忘れ物をした人たちのお尻を「良しっ、はいー次っ、良しっ」と言いながら一人一人テンポ良く叩いていく。

自分も忘れ物をしたことがあったが、なぜかその日に忘れ物をしたのは自分だけだった。一人だと注目度も違う。生徒の視線も、先生の視線もこちらに。そして、先生は時間を掛けて、笑いながら「ハ〜イ、ミスターふかふか、 ハウアーユー?今日はみんなの注目の的だなあ。痛いぞ〜、覚悟しておけ〜」と言われ、他の生徒の倍くらいの強度で叩かれた。

とにかく、発音させるのが好きな先生だった。いま、カンボジアでたまにバナナを買う時の「バ、ナーナ」という発音だって、S先生から習ったものである。S先生の英語の授業はいつも楽しかったが、自分が中学3年の時に、S先生は他の中学に異動になってしまった。中3の時の自分は、やはり後任の先生とS先生を比べてしまい、なんだか英語がつまんなくなってしまったものである。

S先生、ご健在なのかなあ?もう80を超えているだろうな。街で見かけてもわかんないだろうな。
【2008/11/19 09:04 】 | むかしむかし | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
マンションギャラリー
桜が散ると、木々の緑は鮮やかになり、新緑の美しい季節である。

こういう季節になると、昨年までのおうち探しを思い出す。昨年までは、折込のチラシを一枚一枚じっくり見たり、家族でマンションギャラリーに足を運んだりしていた。

今思うと、マンションギャラリーは楽しかった。モデルルームに入ると、そこはとても優雅な世界。大きなリビングルーム、広いベランダ、モダンなデザインのテーブルに赤ワインやワイングラスなんかも置いてある。私の関心は眺めなので、この季節だと新緑の美しい眺望を想像してしまう。絶対モデルルームのようにはならないのは分かっていながらも、マンションの開発者たちの仕掛けたワナにまんまとはまり、心地よいプラスの想像は留まることを知らない。結局は、立地、間取り、そしてお金という現実を見て、なんとか自力で彼らのワナから脱出するのである。

それでも、マンションギャラリーは、担当者がしつこくない人であれば、楽しいところである。子供のプレイルームがあったり、コーヒーやジュースはタダだし、ローンの計算までしてくれるし。そんなタダで冷やかしてやろうという気持ちの戒めだったのか、中には予約が必要なところもあって、門前払いをくらったこともあった。「予約していない者はここから出て行け〜」みたいな対応であった。
【2008/04/11 00:13 】 | むかしむかし | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
やったあ
昨日から久々の出勤である。

行きの電車は新型車輌で、ドアの上にTV広告がある。そして、スクリーンに目をやると、なんと懐かしいものが目に入ってきた。

ドクロベエが「見ないとおしおきだべえ」と言っているではないか。

なんだろうと思いながら、スクリーンを見続けていると、「2008年1月14日(月)夜7時放送スタート」とあるではないか。

やったあ、ヤッターマンが帰ってきた。30年ぶりらしい。くだらないこと好きな私としてはこの上なく嬉しい。

ヤッターマンと言えば、当時は、変身する姿に憧れたものだ。宙返りをしながら服を脱ぎ、新しい服が上から降ってきて装着される。朝起きた後、良く真似したものだが、当然のことながらヤッターマンのようには出来なかった。

年齢を重ねると、変身よりも、ドロンジョさまたちとヤッターマンとのワンパターンの戦いの方が懐かしくなってくる。いつも自分たちの乗っているマシーンからお互いが多数の小型のロボットたちを出して闘う。あの小型ロボットたちがなんとも言えない。たまねぎの形をしたロボットたちが「タマネギ、タマネギ、タマネギ」という掛け声で行進したり、タコの形をしたロボットたちが口を絞って「タコチューチュー、ヘイヘイサー」と返事をすることが今でも面白い記憶として残っている。そして、何よりもおかしいのが、大の大人たちがこの番組を作っていることである。いまでも、彼らはきっと笑える人たちに違いないと思っている。

一応、娘には番組の宣伝をしたが、果たして観るだろうか。

私自身は1/13から出張で、30年ぶりのヤッターマンを観れずに残念である。

ヤッターマンのWebサイトは以下の通りです。
http://yatterman.tv
【2008/01/10 12:47 】 | むかしむかし | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
ベルギービールを飲みながら
昨夜は会社の他部署の後輩のMくんと軽く一杯行ってきた。

Mくんは同じ大学の後輩でもあり、昨年の春ぐらいにうちの会社に入ってきた。彼は大学を卒業した後、国交省のお役人として働いていたが、その後、お役人をやめ、ニュージーランドやアイルランドに語学留学し、そして昨年の春、うちの会社に入ってきた。

実はMくんが大学2年生の頃、私はアシスタントとして彼らの測量実習の面倒を見ていた。当時、測量の研究室に大学院生が誰もいなくて、私は他の研究室に在籍していたにもかかわらず「ふかふか、手伝ってくれんか。お前の家は測量屋だと聞いたから、お前も本当は測量が得意なはずだ。しかも、もうお前の研究室のT先生にも了解をとってある」と測量のN先生に言われ、半ば強制的にアシスタントにさせられた。確かに父は測量屋だが、父が測量屋だとその息子も測量が得意ということにはならないと思う。

Mくんは昨日、昔話をしてくれた。「大宮のキャンパスの測量でグランドを1週、高低差を計りながら、最初の点に戻ってきたら、2mも誤差があったんですよ」。普通は最初の点に戻ってきたら、理論上は誤差は生じないが、誤差があってもだいたいは数cmぐらいの精度は必要だ。

しかし、当時のいい加減アシスタントであったふかふかは、その結果に落胆している後輩たちに対し、「2mの誤差なんてすごいよ。俺の時は20mくらい誤差があったぞ。立派立派、さあ先生に報告して来い」と適当に言っていたのだろう。

素直だったMくんたちのチームは先生に誤差を報告に行ったが、「なんじゃお前たちの測量は、こら〜っ」と怒られたらしい。

そんな学生時代の話を彼がよく行く新宿のFrigoで大変コクのあるベルギービールを飲みながら交わしていた。たまにはベルギービールも良いものだと思った。

■Frigo
東京都渋谷区代々木2-11-20 新宿島津ビルB1F
TEL 03-5371-0666

http://www.eurobeer.net/frigo/
【2007/07/28 08:40 】 | むかしむかし | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
予知夢?
おとといの夜、変な夢を見た。現在のPNGのチームメンバー全員が、私が昔住んでいた米国の小さな町に視察旅行に行くという話である。それ自体が既に変な話なのだが。

そして、私はチームメンバーが食事中の間に、私が以前住んでいたアパートの周辺を歩く。アパート周辺はとても手入れの行き届いた緑の芝の美しい丘の上に立つ閑静なところなのである。しかし、私が久しぶりに歩いてみると、私が住んでいたアパートの周辺がなんと日本人街になっており、日本人がごった返していた。私が住んでいた棟がなんと鉄道模型屋さんが経営する安宿になっており、小さなキラキラしたバックを振り回し、かったるそうな顔をしているヤンキー姉ちゃんが宿を出入りしている。私の友達が住んでいた棟(今も彼は住んでいるらしい)はプラモデル屋になっていた。そして、私が住んでいた棟の裏通りの筋向いには何と日本食屋になっており、チームメンバーはそこでカツカレーを食べていた。

チームメンバーは、PNGのプロジェクトについて色々と愚痴を言っていたが、私はなぜか私のアパートの周辺の変わりように文句を言っていた。「市の景観部局のマネージャーにこの街の変わりように文句を言いたい。もともとあそこの土地利用は宅地のはずだ、あんな商業利用があんなところで許されてはならない。この街も終わりだあ。」と、カレーを黙々と食べる他のメンバーたちの前で訴えていた。そして、メンバーの反応が返ってくる前に目が覚めた。

夢から覚め、夢であったことにほっとした。それにしても、あれは予知夢だったのだろうか。あのアパートが取り壊されることになったとか。
【2006/12/11 18:13 】 | むかしむかし | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
少年時代
一昨日は、我が家にあるテレビと妹の家にあるテレビを交換するため、調布にある妹の家に行った。深大寺正門前の御蕎麦屋さんの特設ステージでゴスペルのコンサートがあった。プロではないようだが、各メンバー、それぞれ美声を発していた。的屋ではない地元の方たちの上品な露天商が出ており、ふるまい酒もあった。越乃寒梅や浦霞といった有名な酒がふるまわれており、私も頂いた。ゴスペルもほろ酔い気分で聞き入っていた。

その夜、私は府中にある実家に泊まった。実家というのは、どんなに年月が流れてもリラックスできるもので、夜もぐっすり眠れた。

翌日は、母の自転車を借り、久々に少年時代に回った路地を走ってみた。主に、小中学生時代の活動範囲で、府中市、国分寺市、小金井市に跨る。大きく変化した場所、全く変化していない場所、ちょっとだけ変化した場所など様々である。以下、驚いた順に並べてみた。

■全く変化していない場所:
1位 M・Tくんの家(晴見町)
2位 K理容店(晴見町)
3位 国分寺跡(国分寺市西元町)
(小学生時代、幼いながらもM・Tくんの家は古めかしいと思っていたが、約20年経った今もなおM・Tくんのお家はしっかりと建っている。M・Tくんのお父さんは私が知る唯一の雷親父であった。M・Tくんのお父さんから、「モノを大切にする心があれば、家なんて何年でももつものだ。」と大きな声が飛んできそうであった。K理容店は私が生まれて初めて行った床屋である。外から眺める限り、Kさん夫婦もご健在のようであった。国分寺跡の大きなオープンスペースは開発されることなく、昔と同じ時が流れていた。)

写真:国分寺跡(どっかのホームページより)
kokubunjiato


■大きく変化した場所:
1位 団地(府中市晴見町)
2位 府中九小の東側と北側(府中市栄町)
3位 旧郵政省宿舎(府中市幸町)
(以前22棟あった建物は壊され、新しい高層の建物が建築されていた。棟数は減少しているようだった。この団地には子供が多く、小学校のクラスメートの3割近くがこの団地から通っていた。九小の北側は都営住宅、東側は畑だった。しかし、北側は高層マンションが、東側は分譲住宅地となっていた。旧郵政省宿舎は更地になっていた。近年の国家公務員の宿舎の見直しによるものだろうか。)

■少しだけ変化した場所:
1位 仲良し広場(府中市栄町)
2位 ターザン公園(府中市栄町)
3位 前田グラウンド(小金井市貫井南町)

(仲良し広場は、幼少時代を過ごしたところである。ブランコ、鉄棒の位置は変わっておらず、赤松も昔のまま。新しい遊具施設ができ、砂場がなくなっているようであった。ターザン公園は、小学校低学年の時に、仲良し広場の筋向いにできた公園で、当時はターザンロープがあった。現在、ターザンロープはなく、公園の名前も変わっているかもしれない。前田グラウンドは小学校時代の野球チームのホームグランド。ここから甲子園に行ったのは、T・Tくんの兄貴ぐらいだろう。チームメイトのT・Yくんは甲子園には行けなかったものの、シダックスの選手及びコーチを経て、彼の母校の桜美林高校の監督を務めているという噂を聞いたことがある。)

そして、自転車に乗る前からどうなっているのかを知りたかったのが、晴見町3丁目のあるお宅。中学一年の頃、友達と一緒に下校している時、黄色いスプレーペンキを拾った。このスプレーでそのお宅のポストと、そのポストに挟まっていた新聞の夕刊に軽くスプレーをかけた。ポストと新聞の一部が黄色くなった。私が犯した大きないたずらと言えばこの1件だけなので、このいたずらは22年を経過した現在でもなお記憶に残っている。

そして、今回、その家の前を通りポストを見たら、まだペンキの痕が色あせてはいるものの微かに残っていた。自分が犯した唯一の大きないたずらの痕が残っており、懐かしさとともに、このお宅の居住者が22年前に抱いたであろう不快感を想像すると複雑な心境である。ペンキの痕が消えるまでは時効にならないのだろう。

【2006/08/14 22:33 】 | むかしむかし | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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