日記
ブログはもう少しで1周年というところだが、手書きの日記の方は2005年4月22日から開始し、今日から7冊目のノートに入る。日記を書くのは地道な作業であるが、たまに読み返すと面白い。こんなことがあったんだなあと改めて思う。

2005年4月22日の日記を見ると、味気も何もなく、職業病なのか箇条書きである。
・会社の元先輩が行政書士の事務所を開設した
・同期の友人が大阪の堺市役所に転職した
・ポールさん亡くなる
・定期が切れた

2005年6月6日は、下手なドラえもんの絵が描かれている。「6月6日にUFOがあっち行ってこっち行って落っこちて」という文もある。いい歳して、何を考えているんのだろう。その前の文章が、「取締役の前で説明する日だったので、朝から渋谷のトイレにお世話になった」という文面なので、説明が終わってホッとしていたのだろう。

それにしても、試験勉強、語学等、色々なことに継続しようと決意しても大体が3日坊主であった。日記だけは、たまに3日分まとめて書くこともあるけれど、何とか書き残せ、継続できている。日記を書いたところで、自分の能力がアップする訳でも何でもない。しかし、たまに読み返したときの面白い発見がある。

後ろ向き傾向は否めないので、これからは未来のことも日記に書いてみたい。
【2007/07/30 22:59 】 | 日記・その他 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
ベルギービールを飲みながら
昨夜は会社の他部署の後輩のMくんと軽く一杯行ってきた。

Mくんは同じ大学の後輩でもあり、昨年の春ぐらいにうちの会社に入ってきた。彼は大学を卒業した後、国交省のお役人として働いていたが、その後、お役人をやめ、ニュージーランドやアイルランドに語学留学し、そして昨年の春、うちの会社に入ってきた。

実はMくんが大学2年生の頃、私はアシスタントとして彼らの測量実習の面倒を見ていた。当時、測量の研究室に大学院生が誰もいなくて、私は他の研究室に在籍していたにもかかわらず「ふかふか、手伝ってくれんか。お前の家は測量屋だと聞いたから、お前も本当は測量が得意なはずだ。しかも、もうお前の研究室のT先生にも了解をとってある」と測量のN先生に言われ、半ば強制的にアシスタントにさせられた。確かに父は測量屋だが、父が測量屋だとその息子も測量が得意ということにはならないと思う。

Mくんは昨日、昔話をしてくれた。「大宮のキャンパスの測量でグランドを1週、高低差を計りながら、最初の点に戻ってきたら、2mも誤差があったんですよ」。普通は最初の点に戻ってきたら、理論上は誤差は生じないが、誤差があってもだいたいは数cmぐらいの精度は必要だ。

しかし、当時のいい加減アシスタントであったふかふかは、その結果に落胆している後輩たちに対し、「2mの誤差なんてすごいよ。俺の時は20mくらい誤差があったぞ。立派立派、さあ先生に報告して来い」と適当に言っていたのだろう。

素直だったMくんたちのチームは先生に誤差を報告に行ったが、「なんじゃお前たちの測量は、こら〜っ」と怒られたらしい。

そんな学生時代の話を彼がよく行く新宿のFrigoで大変コクのあるベルギービールを飲みながら交わしていた。たまにはベルギービールも良いものだと思った。

■Frigo
東京都渋谷区代々木2-11-20 新宿島津ビルB1F
TEL 03-5371-0666

http://www.eurobeer.net/frigo/
【2007/07/28 08:40 】 | むかしむかし | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
貯まる?貯める?
普段の出張からの帰国であれば、久々の出社と感じる。しかし1週間の出張だと、つい昨日出社したかのようで、久々の「ひ」の字もない。

そして、上司に会うや否や、「ふかふかくんが帰ってくるのを待っててさあ、仕事がたまちゃってるんだよね」と言われる。しかし、どう見ても「ふかふかくんが帰ってくるまで仕事を貯めていた」としか思えない。しかも、そんな仕事たちのために、またまた健康診断を再延長することになってしまった。

さらには仕事の合間に不動産屋からも連絡が入る。不動産屋としても、なかなか事が進まず、私が居る間に手続きを進めたいのだろう。

そんなこんなで日本はいろいろと慌しい。ああジャカルタが恋しい。
【2007/07/27 00:20 】 | 日記・その他 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
バンジャルマシン
1週間という短い出張で、きつい行程であるが、次回はいつインドネシアに来れるか分からないので米国留学時代の友達が住む町に行くことにした。実際は、もう一人の友達(訪問した友達のいとこ)が昨年亡くなったので、そのお墓参りがそもそもの訪問の目的であった。二人とも、前回のブログに登場した、私と同様に英語に苦しんでいたインドネシア人である。

その友達が住む街はインドネシアの首都ジャカルタから飛行機で1時間半ほどのバンジャルマシンというカリマンタン島にある町である。どんな機械が出てくるのだろうかと疑問を持ってしまう地名である。バンジャルマシンは川の上に多くの高床式の家が立ち並んでいるところで、まさにバンコク in インドネシアという感じのところだ。

日本を出発する前に、できれば土日にかけて訪問したいというメールを送付したが、インドネシアに到着してからもしばらく返答のメールがなかった。土日は久々にのんびりとゴロゴロしながら過ごそうかと思っていた金曜日の夜11時頃に、友達からホテルに電話が掛かってきた。それから、突然、バンジャルマシン行きが決まり、チケット探しに奔走した。

翌日は10時にホテルを出発して、12時過ぎのフライトでバンジャルマシンに飛んだ。

インドネシアの代表的な航空会社と言えば、ガルーダ・インドネシア航空だが、最近はその他にも色々な航空会社が参入してきている。今回はライオンエアーという航空会社を使った。ライオンエアーはよく出発が遅れると旅行会社に言われた。遅れる理由を聞いたが、旅行会社の回答は「Because it is Lion Air」という大変シンプルな回答であった。実際、その通りで、行きも帰りも出発が30分ぐらい遅れた。それから、ライオンエアーは墜落しないかという疑問もあったが、インドネシアの航空会社はガルーダも落ちる程ひどいので、どの航空会社を使っても危険度は変わりないことを悟った。

肝心のお墓参りは、よく聞くとお墓が全然違うところにあるので、行けなかった。お葬式の写真だけ見せてもらい、手を合わせた。友達がこの世にいないことが今でも信じられない。背後から元気な声が聞こえてきそうだった。

今回訪ねた友達は昨年結婚して、来月に男の子が生まれるそうである。そして、バンジャルマシンでは、奥さんと文房具の問屋を営んでいる。突然の訪問にも拘わらず、友達の家族にも良くして頂いた。たった24時間の滞在であったが、大変素晴らしい訪問であった。




【2007/07/23 12:29 】 | 日記・その他 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
36 in ジャカルタ
約1年3ヶ月ぶりのジャカルタである。

担当している2つのプロジェクトのうちの1つがそろそろ終るということで、その終了のための手続きに来た。最近は静かな太平洋州の出張が多かったこともあり、屋台に代表されるアジアの活気には大変魅了される。

インドネシアはイスラム教徒の多い国であり、朝・夕にはコーランが街に響く。10年前に初めてジャカルタに来た時は、コーランに不気味さを感じたものだが、最近はコーランを耳にしながら夕焼け空を見るのが心地良く感じる。歳をとったのだろうか。

そうだ歳をとったのだ。今日は7月20日、ふかふかの誕生日である。ああ、もう36か。頭の中のカウンターの目盛が1つ増えていく。

誕生日で思い出すのは、1994年、1996年、1998年、そして2003年の誕生日である。1995年と1998年の誕生日は、米国への渡航日であり、夜が来て次の朝に米国に到着してもまだ誕生日だった。当時は「誕生日が2日分もある」と喜んでいたものだ。

1996年は米国に滞在していた頃で、大学の寮に入っていた時である。当時は、英語に苦しんでおり、留学生向けの英語コースに通っていた。夜9時ごろに、突然、「ちょっと来て」と同じ学部に行くことになっている年配のインドネシア人に呼び出され、私が住んでいた階の1階下のエレベーターホールに連れて行かれた。エレベーターホールに行くと、私と同様に英語コースで英語に苦しむインドネシア人、タイ人、日本人の友達たちが「HAPPY BIRTHDAY」という声とともにクラッカーをパンパン鳴らしてくれたのだった。本当に嬉しかったことを覚えている。

2003年はフィリピンに居た時である。フィリピンでは、誕生日を迎えた人が他の人に感謝の気持ちを込めておごる習慣がある。フィリピンのプロジェクト事務所のスタッフたちは、メンバーの誕生日をきちんと把握しており、1週間前ぐらいに「来週の今日はあなたの誕生日だから、ごちそうやケーキを用意するように」と言われたものである。これも思い出深かった。1996年とは対照的なパーティであり、とても印象深かった。

こう考えると、周囲の支援があって、無事36年も生きてこれたのだと思う。皆さんに感謝です。
【2007/07/20 12:53 】 | 日記・その他 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
芥川賞(ひとり日和)
ここ2週間は提案書の作成で読書も進まなかった。

まずは芥川賞作品の「ひとり日和(青山七恵著)」。息子の名前がたまたま芥川氏の名前と同じという理由で芥川賞作品を読もうと思い、春先に図書館に予約を入れておいた。予約の図書は忘れた頃にやってくる。気づいたら、本日の朝刊に次の芥川賞が発表されている。時代についていくのは難しい。

ひとり日和 ひとり日和
青山 七恵 (2007/02/16)
河出書房新社

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さて、本の方であるが、短い文章でつないでいることもあり、とても分かりやすい文体である。主人公の知寿は、彼女の母の知り合いのおばあちゃんの家に数年間居候する。そのおばあちゃんとのほのぼのとした生活を描いた作品で、時折、彼女の失恋物語も入ってくる。おばあちゃんの言葉は含蓄があり、ふかふかも「ほお」と感心してしまう。居候の現在と就職後を、内の世界と外の世界と分け、「外の世界は厳しいよね。きっと」言った知寿に対して、おばあちゃんは「世界はひとつで、内も外もないよ」と知寿に言う。きっと知寿はおばあちゃんとの生活を通して、いろんなことを学んだに違いない。

最後の方では、就職後におばあちゃんの家を出た彼女は、数ヶ月後におばあちゃんの家の近くを電車で通る。おばあちゃんの家はある私鉄の線路沿いにあり、電車の車窓からおばあちゃんの家をじっと見て、おばあちゃんの姿を探す。他人から見ればなにげない風景、それは物干し竿一本であっても、ある人から見れば、沢山の思い出がつまった風景なのだと改めて感じるふかふかであった。
【2007/07/18 11:36 】 | ぶっくぶっく | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
7月の連休
提案書の提出も無事終わり、周囲も自分も台風一過である。それにしても、台風の後に、地震まで起きなくてもと思う。

今回の地震で倒壊した家を見ると、1995年の阪神淡路大震災と同じパターンであり、12年を経過しても、住宅の耐震化が進んでいないように思えた。耐震化が必要なことを分かっていても、恐らく政府も住民も対策を講ずる金がないのだろう。政府はあっても良さそうな気がするが。

連休中は家族の用事が前々から入っていたので、16日は仕事だったが14日と15日はお休みを頂いた。その用事とは、お墓の移動である。ふかふか家の源流は山梨にある。しかし、もう殆どの人が山梨を離れてしまったため、この度お墓を八王子に移すことになった。

山梨も台風の影響で、良く雨が降った。しかも、山梨の祖父母の家は駐車場から離れているので、靴はビチョビチョである。山間の村なので、駐車場と家を結ぶ道は勾配もあり、川となっていた。祖父母の家に行く前に、近所の温泉に入ってきたが、靴も服も濡れ、温泉で温まった体は冷え、温泉効果はすぐに打ち消されてしまった。

それでもたまには行ってみるものである。横浜にも海外にもない、まさに日本の田舎の風景を久々に楽しめた。

■ つむぎの湯
〒409−3243
山梨県西八代郡市川三郷町鴨狩津向640番
電 話 0556−20−2651(フロコイ)
F A X  0556−20−2655

http://www.town.ichikawamisato.yamanashi.jp/contents/index.php?option=com_content&task=view&id=62&Itemid=30




【2007/07/17 12:46 】 | 日記・その他 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
7月なのに
17日に締切りの提案書づくりに追われている。

最近は子供たちの寝顔しか見ていないような。

こんな時に限って、多くの人が出張中とは。

ああ、折角の7月(誕生月)なのに。



【2007/07/12 12:32 】 | 日記・その他 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
パラオのプロジェクト
本日、JICAさんのサイトに、私が従事しているパラオの廃棄物管理改善プロジェクトの記事が掲載されました。

http://www.jica.go.jp/story/feature/feature_06.html

先月の中旬に、2日間という短いスケジュールの中、JICA広報室の池田さんに取材して頂きました。

私も住民啓発に関して原稿を作成したのですが、それは残念ながら公表されず、JICAさんの内部資料になっています。

是非、次回は池田さんをPNGに招き、PNGの株をあげたいと思っています。







【2007/07/04 17:43 】 | 日記・その他 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
新しい道
先週の土曜日、97歳の祖父が入っているホームを訪ね、八王子まで出かけた。八王子といっても、高尾の近くで、とても長閑なところだった。祖父が元気そうで何よりだった。書道クラブに入っているようで、字もしっかりしており、100歳も夢ではなくなってきた感じがした。

その日は、府中の実家にも行くことになっていたので、最近開通した圏央道の八王子西ICから中央道経由で府中に向かった。この開通により、中央道と関越道がつながった。今後の予定では、2012年に中央道と東名、関越道と東北道、東北道と常磐道、常磐道と東関道がつながるらしい。

http://www.kenodo.net/what.html

高校時代だろうか、中央道の小仏トンネルの数キロ手前で、よく「圏央道建設反対」という旗を見たものである。当時、「こんな狭い山間に高速道路のジャンクションが本当にできるのだろうか。技術力はあるのはわかるが、こんなところに強引に作らなくても」と思ったものである。しかし、それから約20年経過し、本当に完成してしまった。建設反対運動も大きく、完成は当分先かと思っていたので、完成に大変驚いている。それにしても、良くも悪くも、我が国の公共事業の有言実行度は凄い。一度決めたらやめられない。

そう言えば、パラオの新首都建設も似たような状況だ。多くの住民は反対しているのだが、一度決めたらやめられないみたいだ。パラオの場合は、なぜか法律でも新首都建設が規定されていたそうだ。



【2007/07/03 22:27 】 | 日記・その他 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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